落語家の柳家さん喬さんが朝日新聞の連載記事 語る 人生の贈り物 (2022年10月24(月)から2022年11月11日(金) 文化/小説欄 全15回)の中で、落語について語っている部分を引用してみた。何気ない言葉なんだけど、深いです。
彼女たちは(落語を聴いて)、感情を(柳家さん喬さんと彼女たちとの間で)共有したことに感動したんですね。落語もおかしさを(落語家とお客の間で)共有するから笑える。
(落語は)安部公房の「他人の顔」じゃないですけど、自分の持っている二面性を、一つの形で表現する方法なんだ。
剣道で例えるんです。「互角」。客と演者は互角でなきゃいけない。初段と五段が稽古するときに、俺は五段だと思っていると、初段はいくら経っても腕は上がらない。自分がいつも高い位置にいたら、お客さんも楽しめない。あと「間」。客が出てきたと思ったらひけ、客が離れたと思ったら前へ出る、常にその間は同じでなけりゃいけない。ふっとしたときに飛び込める、それが笑いにつながるって言うんですね。
踊り(日本舞踏)がどんだけ落語に役にたったか。落語は存在しない人間に話しかけるじゃないですか。踊りも気持ちを訴えかけるのは、仮想の好いた男。それに目線や所作がついていく。自分の中で景色を思い浮かべることもできるようになった。
古典(落語)も新作(落語)も、人間の持っている根底は同じなんだ、自分の根底にあるものを表現できることが大切なんだ
「芸を磨くよりも人を磨け」。うちの師匠、五代目柳家小さんが言っていた人間的なことは最優先に教えています。でも、お金にならないことなんで、歯がゆいですね。
うちの師匠は、お供でタクシーに乗ると「あのよー」って唐突にしゃべり出すんです。それをふと思い出します。愚にもつかないことをしゃべる。それによって、気持ちが穏やかになってく、ってんですかね。芸人てみんないつも緊張してるんですよ。
昔は全編を笑わせようとしたんですね。だけども、捨てていくんですよ。だんだんお客さんが噺のなかに入ってきて、後半になってわーっと喜んでくれる。そういうことが楽しくなってきた。うちの師匠、五代目柳家小さんの「うどん屋」がまさにその通りです。お客さんが泣きながらも笑ってくれる、「ああいい噺聞いたね」って言ってくださるのが、落語の本来の良さだと思うんですね。