日経テレ東大学Re:Hackというユーチューブ・チャンネルが終了した。現役の政治家や財界人などのぶっちゃけトークが聴けておもしろかったのでもったいない感じがする。饒舌な進行役ひろゆきさんと成田悠輔さんとプロデューサーの高橋さんのゲストへの鋭いツッコミによって、建前で話すことが多い人たちから本音の発言を引き出すことができた。その事が、ゲストのアイデンティティを公にさらす結果となり、良かった回もあるし行き過ぎた回もあったのかもしれない。ゲスト個人の名誉を傷つけていた回もあったのかもしれない。ひろゆきさんが別のユーチューブの中で、番組終了に関するコメントをしていたが、田原総一朗さんの名前を挙げていた。その田原総一朗さんの回を観て私が感じたことは、田原さんのことではなく、かつて護送船団方式と呼ばれた「日本の忖度社会」の限界である。
なぜ、日本経済は30年近く停滞しているのか?それは、単純に、日本企業が現在トップに居る世界中の企業との競争に負けたからだという。この間、海外の国では、革新的なアイデアをもつ若者が新しいビジネスを立ち上げ、生き残りを懸けて闘っていた。そして、グローバル企業に成長した。起業や転職が盛んな海外の方が、そのような企業が出て来る環境も整っているのだろう。また、欧米の国々には、日本にはないイノベーションの歴史がある。日本的経営では、すべての社員の幸せを望む。新入社員として一括採用されたあと、終身雇用のような形でだれもが、上司に従い上司に評価されて、係長、課長、部長、社長と段階を踏んで出世する人生を歩む。上司には逆らえない。家庭を持ったサラリーマンは、簡単には会社を辞めることができない。そんななかでの仕事の失敗の責任も上司ではなく部下の方へ向けられることが多い。仕切り直す頃には、うやむやになる。「知らな~い」で済ませる。自分が出世するためにも、上司の天下りが必要になる。天下りは、民間企業を監督する立場からすればおかしな話である。しかし、年功序列による円満な解決を望む。歪んだ構造を認める。リーダーシップを発揮する人が存在しない。もしくは、「日本の忖度社会」がそういう個人を認めない。だから、イノベーションが生まれない。制度を変えられない。インターネット・ビジネスにおいては、社会の変化に対応できずGAFAMと呼ばれる海外のIT企業に大きな差をつけられてしまった。その前提に日本の忖度文化や「日本の忖度社会」がある。そして、「日本の忖度社会」には、現状変更を認めない同調圧力も存在する。同調圧力とは、利益の供与、脅迫、マインドコントロールのことである。
田原さんのはなしを聴いていると、政治家や官僚、財界などの「日本の忖度社会」で意気投合しているのは、日本経済再生のための経済政策であるように感じる。最近、「どこどこの企業が社員の給与を上げた」というニュースが度々流れる。その事も経済政策の一環なのだろうか。しかし、番組でも指摘していた通り、官民一体でやっても今まであまり良い成果が出ていないのも事実である。
海外のグローバル企業とどこが違うのだろうか?外国人が、日本人と比べて、特別責任感が強いということはないだろう。しかし、新規事業に挑戦した「結果」に関しては、日本人よりドライに、その「結果」を事実として受け止めているのではないだろうか。そして、その事実を前提として、対策を講ずることができる。つまり、ソフトバンクが躍進していた頃の孫正義さんのような「フラットな発想」をもつことができる。それに比べて「日本人は」と言うと、第2次世界大戦時の軍上層部や「日本の忖度社会」の過去を振り返ると、現状認識の甘さや上手く行かなくなってからの自浄能力のなさが目立つ。現在の日本の状況を考えれば、ビジネスにおいては、グローバルな競争力をつけるため、各企業が「自立」した存在としてドライに挑戦を続けること以外ないのではないだろうか。現在でも、グローバル企業と呼ばれる日本企業の多くは、そのような取り組みをしているのだろう。
そして、現在と30年前の「日本社会」を比較した場合、失われたのは「経済力」だけでなく「公の健全さ」であるように感じる。30年前の方が、個人の良心に基づいて社会を忖度するような風潮がまだあったのではないだろうか。私達が漠然と「日本社会」というものを考える時、もう少し健全なものを感じていた。現在は、社会全体が根暗になってしまい、建前はともかく本音は個人の損得でしか物事を考えなくなってしまった。関心がなくなってしまった。政府や国が言うことを本気で信用することはない。それでは「社会」と呼べない。「公の場」で物事を明らかにするという意識が弱まってしまうことは、個人のモラル低下や不正の助長に繋がる。犯罪も増える。政府や国がやるべき事は、経済をよくすることよりも、国民が安全で安心な生活を続ける為の合理的な政策に注力する事ではないだろうか。「経済」よりも「公の健全さ」を判断基準にすべきではないだろうか。
「日本の忖度社会」からの同調圧力によって、政府や国が安全で安心な生活を脅かす政策を行ってしまうことは、政府や国に対する信頼を損なうことに繋がっている。政府や国は、「日本の忖度社会」からの同調圧力によって、本来の「監督責任」を見失っているのではないか。最近は、電気料金の値上げなどの理由から「原発の再稼働」を容認する世論調査もあるが、福島県で原発事故があった日本では、どこかに無理があり健全でないように感じる。「二度と同じような事故を起こしてはならない」という国民の想いを無視している。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーの問題点を指摘する声はよく聞く。しかし、それで諦めてしまって良いのかと思う。リニア新幹線の工事に反対する自治体の人たちは、そもそも、政府や国が中立の立場だとは考えていないのではないか。「東京外かく環状道路」のトンネル掘削工事による道路陥没の件でも、国や調布市の対応に住民は不信感をもっている。
同じRe:Hackの大阪市長の松井一郎さんの回では、大阪府の「高校授業料無償化」の話をされていた。大阪府の場合、削った予算で「高校授業料無償化」を実現できた。しかし、企業では当たり前のように行われるリストラを国や地方自治体の財務再建で行うことは、想像以上に大変なことなのかもしれない。他の地方自治体では、今のところ、「予算の組み替え」をして成功したという話をあまり聞かない。国に至っては、少子高齢化が進むなか、国の借金である国債の発行額が1千兆円を超え今後も社会保障費の増大が避けられない現状にあるにもかかわらず、現在の政府は、「税収が減る、支出が増える政策」が目立つ。マクロの話は無視して、政府や国が行う個々の政策が自分にとって得か損かによって評価する人も多いと思うので、得になる政策が多ければ一時的には世論調査では政府の評価が上がる。しかし、国の借金である「国債の発行額」も増えている。一方で、「インフレになれば税収も増え国債の返済もできる」と考える人たちも居る。しかし、10年間続いた「日銀の大規模な金融緩和策」のように、「壮大な金融実験」に終わることも考えられる。また、インフレになっても収入が増えなければモノが買えなくなってしまう。人口減少社会の日本において、国の税収を増やすためには、中小企業を含めたすべての企業が個人に支払う賃金を上げるのと同時にイノベーションを生み出して行かなければならない現実を忘れてはならない。
気になるのは「消費増税」である。最近は、経済格差が話題になる事があるが、消費税率の引き上げによって、国民の何割かが生活できない位の貧困状態に陥るのであれば、「許容できる政策」ではなくなるのではないか。つまり、そのような状況になってもなお「日本の忖度社会」からの同調圧力によって、「予算の組み換え」や余力のある大企業や富裕層に対する増税が行えず「消費増税」を行うようであれば、現在のアメリカのような「分断」が起きるだろう。裕福な生活を送る国民が居る一方で、日々の暮らしに困窮している国民が増えて行くような社会も「健全な社会」ではない。
プロデューサーの高橋さんがテレビ東京を退社されてから立ち上げたユーチューブ・チャンネルReHacQで、事業家の川上量生さんとN国党の党首の立花孝志さんの対談が行われた。私は、この番組を観た時も日経テレ東大学Re:Hackの田原総一朗さんの回を観た時と同様に「日本の忖度社会」の限界を感じた。川上さんは、ガーシー元議員に自身のことや取締役を務めるKADOKAWA、そしてドワンゴのことについて、動画投稿サイトを通じて誹謗中傷を受けたようだ。ガーシー元議員には、2022年2~8月に動画投稿サイトで、俳優の綾野剛さんや経営者ら3人に対し、脅迫や名誉毀損(きそん)に当たる発言を繰り返した疑いがあり、同容疑で逮捕状が出ている。川上さんは、ガーシー元議員の行為についてN国党の党首の立花さんに対しても、事実関係を認めさすことで自分やKADOKAWAに対するネットでの誹謗中傷に対しても白黒つける狙いがあったのだと思う。被害者である川上さんが、話をこじらせた立花さんにも謝罪を求めるのは当然の行為である。一方のN国党の党首の立花さんは、一政治家としてN国党として、政治家や官僚、財界などの「日本の忖度社会」で行われる利害調整によって事実が捻じ曲げられたり不正が黙認されることで社会的弱者が被害を受けている実情を「公の場」で明らかにしたいのだろう。道義的責任を無視してでも、国民を振り向かせたいという想いがある。川上さんから立花さんを見た場合、「ガーシー元議員がした行為」を歪めた事に対する「怒り」があり、立花さんから川上さんを見た場合、「分断」がある。そして、立花さんの側には、立花さんを支持する社会的弱者が居るのだろう。「分断」とは多くの場合、「経済的な格差」に起因するのではないだろうか。ニコニコ動画の生みの親である川上さんが、社会的弱者の標的になるというのは皮肉なことである。私たちは、普段、当たり前のように他者を忖度している自らを疑った方がいいのかもしれない。そのような社会になってしまっていることを自覚した方がいいのかもしれない。
企業の場合でも国の場合でも、パラダイムを変えるようなイノベーションを生み出すためには、「フラットな発想」ができる有能な人材によるリーダーシップが必要なことは間違いない。そして、個人がリーダーシップを発揮しイノベーションを生み出す上で、日本の忖度文化や政治家や官僚、財界などの「日本の忖度社会」からの同調圧力が障害になっていることも理解する必要がある。しかし、日本の忖度文化には、良い面もある。それは、他者への思いやりだったり、気配りだったり、優しさだったり、そういうものだ。柳家さん喬さんの新聞記事の一節が思い出される。「彼女たちは、感情を共有したことに感動したんですね。落語もおかしさを共有するから笑える。」日本人の多くは、互いの足を引っ張る異なる両者を同時に追い求めているのではないか。
Hot heart, cool head(心は熱く、頭は冷静に)。
混沌とした世の中で、私たちは、「真摯さ」と「忖度」のどちらを求めているのかを自らに問わなければいけない。
「真摯さ」とは、あなたが「正しい」と信じていることに関する正直さと強さの質である。