真一
世界にはたくさんの音がある
楽器はいろんな音と話し合うための道具なんだ
でも”音のない音”っていうのもあるんだよ
どんな音?
みんなで弾いてると本当にたまに自分じゃないような演奏ができることがあるんだ
弾き終わって静寂が訪れた時宇宙そのものが響き合う音が聞こえる
お父さんたちはそれを”天籟”って呼んでる
てんらい?
いつか一緒に聴こう
(バイオリニストだった父親香坂一彦と子供の頃の真一との会話)
この世で一番美しいものは音楽でしょ
(真一の母親の言葉)
天道さん
僕を呼んだのは香坂一彦の息子だからですか?
あれは ええコンマスやったな
僕は僕です 一緒にしないでほしい
そんなもん 一緒にされたらあっちもこっちも迷惑や
お前 なんのために音楽やっとんねん
親父の音 追っかけるためちゃうやろ
後ろ向いて弾いている限りこっちにはなぁんも伝わってけえへんねん
ええか ワシら人間は誰でも死ぬ 必ず死ぬ
音と一緒で一瞬や
せやけどな 誰かと響き合えたら、”一瞬”が”永遠”になんねん
コンサートはやらなあかんのじゃ
スポンサーは全部降りたんだ
アホウ ワシがやる言うたらやるんや
(香坂立ち去る)
お前 他に弾くオケあらへんねやろ
金やら親父やら ちっさい ちっさいこと 気にならんようなったら来い
まぜたるわ
(指揮者天道徹三郎(西田敏行)と大人になったバイオリニスト香坂真一(松坂桃李)の会話)
引用: 映画 マエストロ!
この映画の中では、随所に音楽に対するロマンチックな想いを語る会話が出てくる。端的に、音楽愛と解釈するとわかりやすくなる。指揮者の天道徹三郎が檄を飛ばすことで、団員の音楽愛に火が付いて、コンサートでは天籟が聴こえるのである。
この映画は、クラシック音楽の敷居をぐっと下げて、身近なものにしてくれるのではないか?と思う。指揮者天道徹三郎(西田敏行)の団員への指示はプロ野球観戦でのヤジに似て下品である。指揮もコミカルである。しかし、本物の指揮者もそういう遊びの部分というのはあるはずで、プロ野球の試合について好き勝手なことを言うように、映画の中の話と分けて考えずにクラシック音楽も自由に楽しんだらいいと思うのである。
指揮者小澤征爾さんと村上春樹氏との対談本「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読むと、本物の指揮者がどんなことを考えているか?一端がわかって楽しいです。
クラシック音楽と一言で言っても、曲が作られた時代も作曲家の国籍も表現しようとしているものも違います。普段聴いている曲と同じように、「気に入ったものは聴く気に入らないものは聴かない」というスタンスでいいのではないでしょうか?
以前はどうでも良かったクラシック音楽ですが年齢と共にすごく欲するときがあります。仕事から帰宅したあとなどが多いように思います。テレビドラマなどでは俳優が椅子に座って優雅に楽しんでたりしますが、現実にはクラシック音楽を聴く時間もないし、聴いても寝てしまうことが多いように思います。私にとってはその程度のものですが、気力も体力もあるがやることが思いつかない暇な休日に観たり聴いたりすると、想いを巡らせたり気づきがあったりして楽しめます。