思い込みや勘違いをするのはどんなときなのか。ちきりん著『自分のアタマで考えよう』のなかで、思い込みの例として日本プロ野球界の将来について記述されている箇所がある。(プロ野球ファン年齢別構成比の1970年と2010年のグラフの変化が示されている。)Aさんは、日本の少子高齢化の問題やプロ野球ファンの高齢化から、日本のプロ野球界の将来は暗いと考える。Bさんは、逆に、高齢者はお金と時間に余裕があるので、日本のプロ野球界の将来は明るいと考える。ちきりんさんは、ここで、日本プロ野球界の将来について考える際、楽観的な側面、悲観的な側面の両方について考える必要があると言う。その上で、どちらかの意見を述べるのは問題ない。しかし、最初からどちらかの意見が頭に浮かんでくるとしたら、その意見は、「思考」の結果のアウトプットではなく、現状認識をスルーして自らの「知識」を結び付けた思い込みだと言う。勘違いも、過去何度かの経験から、過去の状況と現在の状況を混同してしまうようなときに起こる。
つまり、思い込みや勘違いは、過去において学んだり経験して身に付けた自らの「知識」が原因で起きている。ちきりんさんは、思い込みや勘違いを、”「思考」は自らの「知識」にだまされる”と表現している。改めて考えてみると、物事というものがそもそも私たちの認識より複雑な場合も多い。小宮一慶著『ビジネスマンのための「発見力」養成講座』の第1章 見ているようで、何も見えていないから物事の広さと深さについて触れた箇所を引用する。
“わたしたちは、デジタルカメラのように、全部くまなく頭の中に映像として記録するわけではありません。目に入ってくるものを選んでみる、というか、あらかじめ、見ようと決めたものだけが「見える」のです。”
“先に、大原則1として、「気にしていると、ものは見える」と言ったのは、こういうことです。”(ちなみに、大原則2は、「思い込みがあると、ものは見えない」です。)
“見えているつもりになっているだけ!?”
“必要なものを取得選択して見る、というのは、人が生きるうえで必要なことです。全部の情報を収集し分析していたら、入ってくる情報量が多くなり過ぎて収拾がつかなくなって、何も判断できなくなってしまうでしょう。でも、ひょっとしたら、必要な情報まで見えていない可能性もあるかもしれませんね。それも、たくさん・・・・・・。
“もともと、見ようと決めたものしか見えないとしたら、見ようと思わなければ見えなくなってしまう。とすると、表面的なものだけを見て、自分にはもう十分見えているつもりになっている人には、もうそれ以上は見えないことになってしまうのではないでしょうか(「がんこ」というのはこういうことです)。
“ちょっと見ただけで、パッと全体をつかむ人がいますが、実はそういう人がいちばん危険です。本質的なものを見逃していながら、そのことに気づかずに、分かったような気になって誤った判断をし、誤った行動を起こしてしまう可能性があるからです。”
“セブンーイレブンの最後のnが見えなくてもかまいませんが、会社の経営者がマーケットを見誤り、間違った営業戦略を決定するとしたら、これは、笑いごとではすみません。”
“何かのプロフェショナルは、そのことについての素人には見えないものがたくさん見えるものですが、それは、何であれ、見れば見るほど、見たいもの、見ようと思うものが増えてくるからです。”
“言い換えると、物事には奥行きがあって、深いところまで見れば見るほど、その先にまだ、見えていないことがたくさんあることが分ってくるのです。“
”つまり、分かっていないことが分ってくる。そして、それらについての関心が高まる。だから、それを見ようとします。”
“つまり、見えないやつはいつまでたっても見えない。『バカの壁』といっしょです。分からないやつというのは分からないものなのです。”
“たとえば次の図で、物事をいつも1段目とか2段目までしか見てないくせに「それですべて」と思っている人に、3段目があることを分からせるのは、すごくむずかしい。だって、そういう人たちは、それが「ない」と思い込んで生きているんですから。しかし、物事にはすべて「深さ」があります。”
“でも、3段目行った人には、4段目があるかもしれない、ということが分ります。4段目の人は、さらに奥があるのを知っていますから、自分はまだものが全然見えていないだろうな、ということが分かるわけです。それが、大事です。”
“ものを見る力を磨くには、まず、自分には見えていないものがある、分かっていないことがあるという意識がとても大事です。“
“だから、表面だけちょっと見て、全部わかった気になるのは、危険だと言ったのです。必要なものを見落としてしまう可能性が高いからです。”
“わたしは、このことを、自分自身にも常に戒めるために、「分かる」と書くときには、必ずこの字を使うことにしています。「分かる」というのは、分かったことと分からないことを分けることなんですから。”
”このように、わたしたちは、自分で必要だと決めたものだけを選択して見ると同時に、えてして、本当に必要なものを見ていません。何が分かっていないかを知らないからです。”
“ここで、見える力について、別の大原則をあげておきましょう。”
“3 人は、自分に必要なことだけ選んで見ている“
“4 人は、本当に必要なことを見ていないことも多い“
”何やら禅問答のようになってきてしまいましたが、自分がいかにものを見ていないかということに、すこしでもびっくりしていただけたなら、それで十分です。そうしてはじめて、見ようという気になるのですから。”
“次の章で、ものが見えるための仕組み、方法について、お話しします。
見える力の大原則
1 気にしていると、物は見える
2 思い込みがあると、ものは見えない
3 人は、自分に必要なことだけ選んで見ている
4 人は、本当に必要なことを見ていないことも多い
一方で、仮説とは何が違うのか。 小宮一慶応著『ビジネスマンのための「発見力」養成講座』の第2章 関心と仮説でものが見えるには、仮説を立てる際の一連のプロセスについて丁寧に説明している。
1,関心をもつ
2、関心を持った現象と他の事柄を関連づける
3、疑問を持つ
4、疑問の答えとなる仮説を立てる
4、論理的に答えを導く
5、仮説の検証
”まずは関心”
“ものが見える第一ステップは関心を持つことです。”
“みなさんは自動ドアを通るときに、その自動ドアがどこのメーカーかを見たことがありますか?”
“大多数の自動ドアには閉まっているドアの中央のよく見える位置にメーカー名の入ったシールが貼ってあります。わたしは必ず見ますし、見えます。なぜか?”
“わたしの顧問先に自動ドアの設置を行っている企業があるからです。水色のシールが貼ってあると、その会社の自動ドアです。”
“同様に、わたしは、在宅介護の車が走っていたら、どこの会社かも気になりますし、塾の看板があれば、それがどこの塾かにも注意がいきます。どちらも自分が非常勤の役員をしている会社がそれらの業種だからです。関心があるので、自然と見てしまうのです。”
“読者のみなさんも、好きな人のことならよく見ていると思います。それは関心があるからです。だから、まずは、関心です。関心があれば、その対象を見るようになり、自然と目に入ってくるようになります。”
“前の章で、わたしたちは目の前のことをすべてカメラのように見るのではなく、あらかじめ見るべきものを決めて、選んで見ているというお話をしました。それは、関心がスクリーニング(ふるいわけ)をしているのです。”
“次に仮説“
“次に、「仮説」です。仮説とは「基準」です。これを持てば、さらによくものが見えます。つまり、関心を持って見えたものを、さらに進んで何らかの基準を持って見ると、よりはっきりと見えるです。正しい仮説を持つと「目利き」になれます。”
“その「基準」や「仮説」がわたしたちの「見える力」を決定しているのです。”
“「はじめに」でも書きましたが、『なんでも鑑定団』というテレビ番組を見ていると、鑑定する人たちは、数分足らずの時間の中で、本物と偽物を見分けていますよね。それは、「どこをどのように見ればよいか」という見分ける仮説を持っているからです。わたしたちだったら、一万時間を与えられたって、見分けられません。前提となる、それに関する仮説を持っていないからです。つまり、プロはどこのどういう点を見分ければ本物かどうかが分かるという基準、すなわち「仮説」を持っているのです。”
“分解してポイントを絞ってみる”
“適切な仮説を持っていれば、自然に、ものがはっきりと見えてきます。つまり、物事の違いや類似点、因果関係や関連が分かってきます。”
“でも、仮説がないと、ものの存在に気づくことはあっても、それ以上のことは見えてきません。発見や発想にはつながりません。”
“つまり、正しい仮説を自分で立てられるようになるということが、ものが本当に見えるようになる、ということなのです。”
“では、どうやったら、正しい仮説が立てられるようになるの? ということですが、最初は、だれかにヒントを与えてもらうのがよいでしょう。”
“あなたが部下を指導する立場にあるのだったら、まず、ステップ1として、あることに関心を持たせてやります。すると、かなり見えるようになります。”
“例えば。雑誌や広告の仕事をしている人は、通勤電車の中を見ているだけで、いくらでも企画は思いつくと言いますが、だからいって、経験のない人に、いきなり何でもいいから気づいたことを言ってみろ、と言っても、むずかしい。”
“この場合は、まず、分解して、見るポイントを絞ることです。つまり、関心を持つべきターゲットを絞るとものは見えやすくなります。”
“わたしのお客さまに、アパレルの企画会社があります。そこの人たちは、やはりすごくよく見ているわけです。若い人たちも、よく見ている。なぜかというと、上司が若い人たちに、分解して見るコツを与えているからです。”
“アパレル会社ですから、当然、街中や電車の中で、自社が扱っている商品が対象とする客層に当たる人たちの服装には、目がいくでしょう。関心があるからです。”
“でも、そこで、「これから流行りそうな洋服を見てこい」と言われても、経験の浅い社員にはすぐには分かりません。では、「いま、若い女性の間で、どんな色の洋服が多いか見てこい」なら、どうでしょうか?”
“関心を寄せるべき対象が、「洋服→若い女性の洋服の色」と、かなり絞られます。これなら、だれにでも、見ることができます。”
“ここで、さらに、「今年の流行色は黒だと言われているが、本当にそうなのかどうか、黒い服の人の割合を見てこい」と言ってやったらどうでしょう? すべての色を見ていたのが、黒対その他の色、ということになって、黒い洋服姿の人の数を正確に見てきます。”
“つまり、関心に続いて、「仮説」(判断基準)を与えているわけです。これがステップ2です。”
“この時、黒と言ってもいろいろな黒があることや、素材によって印象が違うことまで見えてくるかもしれません。人によっては、黒が流行するときは景気が悪い、という風説を耳にし、過去の記録を調べるかもしれません。そうして、これまで関心もなかった新聞の経済面に目を通すようになるかもしれません。”
“つまり、見えないのは、ポイントがないからです。関心が持てないのも、ポイントがなかったからです。だから、こんなふうに分解し、ポイントを明確にすると、それだけで、かなり見えてくるようになります。さらに、仮説を持つことで、それまで見えなかったいろいろなことが見えてくるのです。”
“まずは二分法ぐらいがいいでしょう。白か黒かぐらいのところからやると、見えるようになってきます。全体を見ると、見ているようで見ていない、になってしまうけれど、特定のことだけなら、初心者でも見えてくるものです(ただ逆に言うと、文字盤を見てくださいと言うと、時間が見えなくなってしまうのと同じように、色だけを見てきなさいと言ったら、素材が見えなくなるものです。そのことは、知っておく必要があります)。
“新幹線のグリーン車で、景気を見る“
“このように、最初は、だれかに興味の対象を与えられたり、だれかに立ててもらった仮説や基準を使って見るところからスタートしますが、最終的にものが見えるかどうかのポイントは、仮説を立てられる能力、現象を見て、こういうことじゃないかという仮説を立てられる能力を高められるかどうかということになります。”
~ 中略 ~
“関心→疑問→仮説→検証“
“このように、仮説を立てる第一歩は、まず「関心」です。関心を持てばまず少なくとも対象全体は目に入ります。”
“そして次に、”
“あれ? どうしてだろう?“
“ひょっとして、こういう理由かな?“
“と、何でもよいから少しでも疑問に思うことです。”
“たとえば、少子高齢化社会だからと、介護保険の導入にあわせていくつかの企業が介護事業に参入したが、結局は、介護事業は儲からず、学習塾が儲かっているのはなぜか?”
“通常は、地域の市場の大きさに比例するはずの動物園の入場者数、東京の上野動物園より、北海道の旭山動物園のほうが多くなっているのはなぜか? 等々。”
“ここで、仮説を立てます。”
“介護事業は参入も多く、かつ公的な保険で価格が決められているから儲からない。学習塾は市場が縮小しているが、そのため参入が少なく、かつ、少子化で一人当たりの単価が上がっているから儲かる。”
“旭山動物園には上野動物園にはない「感動」がある。”
“仮説を立ててみたら、それが本当に当てはまるかどうか、観察して、検証します。”
“プチトマトでいえば、一つのホテルで着想したら、他のホテルに行ってもそれが当てはまるかどうかを見るわけです。介護、塾市場なら統計を調べる、会社四季報を見る。旭山動物園なら自分で行くか、行った人自分の仮説をぶつけてみる。”
“すると、たとえその仮説が成り立たないことが分ったとしても、その過程で、あなたは、それまでとは違った視点で、ものを見ていることになります。「ものが見える」のです。
“仮説を立てるポイントは関連づけ!“
”ともあれ、ふだんの生活の中で、新聞やテレビ、雑誌などのニュースや話題を、まずは関心を持って見聞きすることです。これは、最初は訓練と思ってやることです(このことは後に詳しく話します)。関心の「引き出し」を増やすのです。”
”そして、その関心を持ったことと、これまで自分で経験したことや他の関心のある事柄と関係づけができないかを考えます。”
”というより、本来、いろいろなことに本当に関心を持っていると、直感的に関連づけられるものです。が、それが得意でないとしたら、意識して訓練することです。”
”そして、その関連づけをし、それに何らかの傾向がありそうなら、それが仮説です。”
”あるいは、何らかの課題があるとき、その解決方法を論理的に考えてみます。そして、出た結論を仮説とすることもできます。”
“繰り返しになりますが、仮説を立てる力も訓練で向上しますし、その立てた仮説を観察によって常に検証するのも訓練だと思って続けて行くと、「見える力」が向上していきます。”
仮説も対象と他の事柄を関連づけするなかで仮説を思いつくのだから、検証した結果、自らの「知識」による単なる思い込みに過ぎない場合も当然あるように思う。しかし、仮説の場合は、仮説の検証作業において、FACTとなるデータと向き合い、ボトムアップ思考で検証が行われる。ここで、仮説の信憑性がある程度判断できる。そして、仮説が成立しなかったとしても、検証作業を通じて、なにかしらの気づきがあるのかもしれない。このようにして、仮説の場合は、仮説の信憑性の確認と同時に対象の物事の関連性を掘り下げまた広げる効果が期待できる。最初の仮説が思い込みか否かということは、現実的には、どちらでもいいことなのかもしれない。大切なことは、上記の仮説を立てる際の一連のプロセスを繰り返すことで、物事の関連性を着実に掘り下げまた広げて行くことなのかもしれない。ちきりんさんの主張である(物事を考える前提として)「知識と思考を分離する」、ゼロベース思考、フラットな思考も論点は一緒であるように感じる。言葉で言うよりも難しいのは、私たちは経験に基づいて行動してある程度の成果を出しているのも事実だからだ。そういう思考回路から一端離れて、FACTとなるデータや分析結果と向き合い柔軟に発想することで、自らの思考の偏りを見直すことが求められる。
しかし、誰にとっても自らの思考の偏りに気づくのは難しいことである。小宮一慶著『ビジネスマンのための「発見力」養成講座』では、物事の見え方を変えるための方法をいくつも紹介している。面白いのは、数値化やフレームワークなどの分析的な方法以外にも見え方を変える方法があることだ。体系的に理解するよりも自分がピンと来るものをゲーム感覚で取り組んでみるのが良さそうである。 個人的には、ほかの人より少しよけいに勉強する、ふつうのものをたくさん見るが参考になった。
ほかの人より少しよけいに勉強するは3項目からなる。1つ目は物事を根幹の部分から考える(古典物理から最新の物理学までを解説するユーチューブ番組で理論物理の専門家が、数式と物理法則の解釈の仕方を物理学発展の歴史を交えて説明していた。たぶん、様々なその当時の詳細な記録が各地に残っているのだと思う。物理学は自然界を理解する学問だが、その当時の人々がどのようなことを考え偉人たちが学問として発展させてきたのか、物理学発展の歴史を辿ることで物理学に対する理解がより正確なものになるように感じた。だから、物事を根幹の部分から考える重要性もわかる。しかし、自分があまり得意でないことは、重要なことをだれかが普通に話していたり何かに普通に書いてあってもなかなか気づけないのも現実である。結果としてタイパが悪い。仕事以外の隙間時間を有効に使うためには、先延ばしを繰り返すような悪循環は避けたい。個人的には闇雲に掘り下げるのではなく、自分の専門性をある程度見極めるもしくは強弱をつけることも大切であるように感じる。)、2つ目は「道具」を使いこなす(永田豊志著『知的生産力が劇的に高まる最強フレームワーク100』では、「道具」を使いこなすスキルとして、(1)フレームワークを使いこなして、最短で本質に到達、(2)チャートを使いこなして、データの整理と見える化、(3)ITを使いこなして、アウトプット効率の最大化の3つをあげ、フレームワークやチャート、IT使いこなしの心得などについても触れている。)、3つ目は知識を蓄え、結びつける(ジャンルの垣根を越えて、知識を技化して問題解決のための道具にする。)である。
第5章 ものが見える10の小さなヒントを一様全部上げると、先に要点を知る、ヒントを先に得る、分解する、情報を減らす、気づいたことをすぐメモする、比較する、一部を取り替える、視点を変える、複数で話す、素直になるである。
7月7日に東京都知事選がある。候補者の安芸高田氏市の前市長石丸信二氏のユーチューブを観る。名前が上がるだけあってコメントも歯切れがいい。しがらみにとらわれず改革を推し進めると主張する。フラットな発想ができる持ち主、そんな印象だった。世の中でも、こんな人に期待しているんだなとも思った。しかし、その後に、井川意高さんのユーチューブを観たら、公約なんて誰も守らないことをみんな知ってる。石丸さんのことも、言うことが変わるし、口先だけなんじゃないのと冷ややかだった。
以前、英語のレスポンシビリティ(責任)について触れた。
英語のレスポンシビリティ(責任)の語源はレスポンス(反応)とアビリティ(能力)という二つの言葉からなる。繋げると「自分の反応を選択する能力」である。「自分の反応」を選択できる人は、「自分の反応」を選択した結果についても進んで受け入れようとする。このような態度を取る人には、結果に対する「責任感」も生まれている。
政治家や経営者の資質には、フラットな発想とセットで、レスポンシビリティ(責任感)が不可欠である。