読み書き算盤のはなし

 ある時、「勉強とは物事を順序立てて考える事である。そして、文章や数式、図解などの手段を使って、実際には見えないものを可視化して謎を究明するのが学問である。」とふと思い付き、悦に浸ったことがあった。もちろん、語学など例外はあるかもしれない。又物事の本質に向き合うという習慣(「コツコツと学ぶ」という習慣)が身に付いていないから、「思い付き」で行動してしまうのかなとも考えた。少しずつ計画的に学ぶことは、「楽しみながら」とも関係している。

 何度読んでも意味がわからずアタマを悩ませる本がある。池上彰さんと佐藤優さんの対談本に、「土台となる「基礎知識」に欠損があると、いくらインプットしても、内容を正確に理解することも、読んだものを知識としてとして蓄積していくことができない」という記述がある。前提となる正確な知識がストックされていないから、本に書いてある内容をいくら理解しようとしても理解できないということが起こる。

 逆に、時の流れと共に、難しい内容をわかりやすく解説してくれる本に出合うことも多くなった。

 齋藤孝著 三色ボールペンで読む日本語を読む。

 赤青緑で色分けした線を引きながら本を読む「三色ボールペン方式」を九九のような読書の型として考え、提唱している。本を読みながら「まあ大事」(客観重要)と思う文が出て来たら青線を引く。そして、著者の想いが溢れた一文、本の主旨となる一文に出合う。そこに赤線(「すごく大事」、客観最重要)を引く。本にはやはり著者が言いたい主旨というものが明確に存在すると言う。(だれが読んでも70%~80%くらいの割合で理解する内容は変わらない。)客観とは本の主旨に関係する文であり、青線と赤線で強弱を付けて区別する。これに対して、本の主旨とは関係なく、読んでいる本人(主観)が勝手に「おもしろい」と感じる文章に出合うこともある。そのような文に出合ったら緑線(主観大切)を引く。線を色分けしているので、あとで本をパラパラと見返した際、本の主旨や主観と客観が一目瞭然にわかる。目に留まる。記憶も蘇る。著者は、三色ボールペンで本を読む習慣はスポーツにおける技と同じで、身に付くまでには試行錯誤があると思うが、身に付いてしまえば普通にただ読む時と比べて読解力に大きな差が出て来ると主張している。

 出口汪著 「論理力」短期集中講座を読む。

 「感情語(人間が最初に習得する言葉)でものを考えることはできません。思考とは、他者意識(人はそう簡単には分かり合えないという意識)を前提としているからです。相手のすじみちを理解し、物事をすじみちを立てて考え、それを人に説明するという一連の作業が思考ですが、これらはすべて論理の言葉」が使われています。

 「一文の中にも論理的関係があります。そして、言葉と言葉も論理でつながっています。文と文、語句と語句との間にも論理があり、それらが集まって一つのの形式段落を形づくっています。もちろん、そこにも論理があるわけです。いくつかの形式段落が集まって、意味段落になるわけですが、もちろん段落間も論理でつながっているのです。」

 論理とは何か。

 論理的な文章は、6つのルール<①主語と述語②言葉のつながり(一文の構造)③文と文のつながり(指示語)④因果関係(接続語)⑤イコールの関係(接続語)⑥対立の関係(接続語)>に従っていると言う。著者は、6つのルールを論理エンジンと呼んでいる。逆の言い方をすれば、私たちは、論理エンジンに従っていない文章を理解することができない。

 論理エンジンを身につけるには、「まず文章を論理的に読んで、まとめることです。それによって、文章の中にある論理をあなたのものにできるのです。流れとしては、論理的な読み方→論理的なまとめ方→論理的な書き方と考えてください。」 (ストックノートを作り、参考になると思った文章の要約を書く。要約に関してあなたが感じたこと、発見したことがあればその都度要約の近くにメモする。)

 論理エンジンの型を身につけることは、文才を磨くことではない。しかし、他者から正確な知識を吸収できるようになる。そして、私たちは正確な知識をストックして行くことで初めて、自らのアイデアを生み出すこともできるようになる。「空っぽの頭で考え出したことなんて、ただの思いつきで何の役にも立たない。」模倣から創造である。また、この訓練を通じて、コミュニケーション能力も同時に磨かれる。

 西岡壱誠著 東大読書を読む。

 自分事として「本と会話する」読み方をしない限り、本に書かれている「情報」はいずれ忘れてしまうものである。だから、「本をなんとなく読む」読み方を続けていてもあまり生産的な行為にはならない。しかし、「本と会話する」読み方を実践すれば、新しい「知識」がストックされ地頭力も鍛えられると著者は主張している。「本と会話する」とは、本に書かれている「情報」についての読者からの問いかけの答えが、多く場合本の中に書かれている、もしくは別の本に書かれているという事実を比喩的に表現している。本から「知識」を得るには、本に書いてある「情報」を理解(インプット)するだけでは十分ではなく、問いかけの答えや自分の意見(アウトプット)を自分のアタマで考えて書いたり話したりするプロセスが必要だと言う。(人間の記憶のメカニズムの観点からも説明できるらしい。)当書では、本に書かれている文章を「情報」と呼び、問いかけの答えや自分の意見(アウトプット)を加味し自分でも活用できるようにしたアウトプットを「知識」と区別している。

 当書の読書法では、本を読むなかでいくつもの視点で読者からの問いかけを行うが一貫して答えを自分のアタマで考えてアウトプットしている(付箋やノートに記録として残している)。普段私たちが本を読むという行為をする際には、本に書かれている「情報」を読んで内容を理解(インプット)することには熱心になっても自分のアタマで考えたことについてはあまり重要視せずにそのままにしたり本やノート、付箋などに書き留める行為までには至らないことも多いのではないか。最後まで読んでしまえばわかった気になる。しかし、その頃には自分のアタマで考えたことなどは忘れてしまうので、本から「知識」を得るという結果には至らないのである。確かに、当書で紹介しているような「本と会話する」読み方を怠ってしまうことが、私たちの読書があまり生産的な行為にならない理由なのかもしれない。

「本と会話する」読み方を実践する一方で、好きな小説家の文章、好きな語り手(自分の場合であれば、「朝まで生つるべ」の笑福亭鶴瓶の噺)、文章術や話術の本などから文章術や話術を学んだり磨いたりすればアウトプットの意識が高まり、「学びの好循環」と呼べるような相乗効果が生まれるかもしれない。

 また、ちきりん著「自分のアタマで考えよう」では、「考えること、思考とは、インプットである情報をアウトプットである結論に変換するプロセスを指す」と書かれているので、読書もビジネスの課題解決も肝は同じだとわかる。

 では、具体的にどのようなことを自分のアタマで考え本から何をアウトプットするのか?当書では、読解力、論理的思考力、要約力、客観的思考力、応用力というスキルで分類して5つのSTEPに章立てして考え方と読み方の手順を具体的に説明している。しかし、個人的には読み方を4つの視点で分類した方がイメージしやすい。1つ目が三木雄信著「孫社長の締め切りをすべて守ったプロマネ仕事術」や「孫社長のむちゃぶりをすべて解決してきたすごい時間術」などにも書かれているプロジェクトや個人のスケジュール管理におけるマネジメントの視点(<本を読む前に>準備をする(タイトルや帯、著者のプロフィールからヒントを得る、自分の目標を決める)、<本を読んだ後に>本と議論する(自分で立てた目標を総括する、帯コメントをつくる、著者の主張に対する「自分なりの結論」を出す))、2つ目が実際本を読んでいる際に浮かぶ質問や疑問を取材するという記者の視点(質問の回答を探す、疑問について調べる)、3つ目が上記の齋藤孝著「三色ボールペンで読む日本語」や出口汪著の「論理力」短期集中講座にも書かれている主旨や要約の視点(要約する)、4つ目がちきりん著「自分のアタマで考えよう」や安宅和人著「イシューからはじめよ」などにも書かれている分析の視点(比較する、比べる)である。

 該当する読み方は、STEP1とSTEP5の読み方(合計5つ)がスケジュール管理におけるマネジメントの視点、STEP2の読み方(合計2つ)が記者の視点、STEP3の読み方(合計2つ)が主旨や要約の視点、STEP4の読み方(合計2つ)が分析の視点である。厳密に言えば、STEP3の「推論読み」は、「要約読み」でまとめた主旨や要約を前提にして、さらにスケジュール管理におけるマネジメントの視点も加えた複眼的な視点で次の展開(次の章の主旨や要約)を予想している。

 「書く」という行為に関しては、文章であれば文才があれば図解であれば絵心があれば図表であれば数字に強ければ個人の創意工夫によって自然に身に付くということもあるかもしれない。しかし、それは、他者が作成したものが自分の目にも見えるので個人の自助努力でも真似することが比較的容易という理由もあるだろう。そして、学校の勉強もこちらが主である。一方で、「読む」という行為や「話す」という行為は、目には見えないので個人の自助努力ではなかなか身に付かないという側面があるのではないだろうか。何を言っているのかわからないという人でも、社会人になった途端にコミュニケーションに苦しんだ苦い経験を想い出せばピンと來るのではないだろうか。

 そのような現実を直視すれば、仕事をする以前に、三色ボールペンの「型」のようなものを「読む」、「書く」、「話す」、「見る」、「聴く」すべてにおいて身に付ける必要性を感じる。これは、たぶん、読み書き算盤のはなしの核心部分である。自然にできるのであればそれで構わない。しかし、それは、他者からも評価が得られることが条件になる。「型」を他者から積極的に学んで身に付ける。しっくり来なければアレンジする。そして、スポーツ競技の技を身に付けるように、日常生活のなかで繰り返し「型」を訓練する。「型」が自分にしっくりと来て自然にできるようになるたびに、「学びの好循環」と呼べる状態を作り出すためのピースが埋まる。タイパが悪いと感じているのであれば、「型」に立ち返ってフォームを点検する、バッターボックスに立つ、その繰り返しである。 

 山崎康司著 入門 考える技術・書く技術 日本人のロジカルシンキング実践法を読む。

 ある課題に対する結論となる「仮説」を立て、根拠をあげ根拠となるデータや事例を集める。うまく行かなければ、「仮説」を変えて、同様のことを繰り返す。これが「仮説思考」である。一方、「洞察」を得る為には、情報収集プロセスを経て、思考の棚や先人が築いたフレームワークに当てはめたり、数値情報をグラフにしたり図式にしたり、自分のアタマにある考えを図や絵で表現したりする分析プロセスを行う。分析プロセスとは、情報収集によって集められたデータを「思考」しやすいように整理・加工し、二次元の情報に可視化するプロセスである。その上で、自分の眼の前にあるインプットである情報をアウトプットである結論に変換する思考プロセスを通じて「洞察」を得ている。前者がトップダウン思考であるのに対して、後者はボトムアップ思考である。真逆の思考であるが、「仮説」や「洞察」は、ロジカルツリーのフレームワークを使って図形表現することができる。そして、「仮説」のピラミッドと「洞察」のピラミッドは、論理的に(図形的に)組み合わせることも可能になる。

 岡部恒治著 考える力をつける数学の本を読む。

 本全体が数学とは何か?考えさせてくれるが、下記ような内容にハッとした覚えがある。

 狭義の数学では、定式化した問題を解いて、定理や公式をみつけることだが、広義の数学では、自然や社会の事象を単純化、抽象化することで、次元の違う定式化した問題にし、その問題を解くことで、定理や公式をみつける。その上で、もう一度、現実の事象を、定理や公式に当てはめて考えることをするといった内容だった。

 数学というものが何なのか?うまく言い当ててるように思う。物理現象なども数学を使って表現される。そこから導かれる定理や公式は、私達の居る世界が私達の想像力を超えたものである事を教える。しかも、観測結果は、定理や公式と矛盾しないのである。数学という道具を使うと、実際には目で見ることができないものまで可視化してくれるのである。

 三木雄信著 孫社長にたたきこまれたすごい「数値化」仕事術を読む。

 数字を使ってビジネスの課題を解決する内容で、ビジネスで数字を使うという事がどういうことなのか?わかりやすく教えてくれる。この著書の本は、自分の専門について書いたというよりは、ソフトバンクに居た頃の仕事のノウハウを書いた本が多い。この本と「孫社長にたたきこまれたプロマネ仕事術」は、モヤモヤしていた事を、明快に解説してもらったという印象がある。ただ、「ソフトバンクに居た頃」自体がかなり昔になってしまったので、本に出てくる話題がピンと来ない人も多いかもしれない。

 吉田たかよし著 「できる人」は地図思考を読む。

 地図とは、決して現実にある地形をそのまま縮小したものではなく、一定の価値観のもとにルールを設けて必要な情報だけを凝縮したものである。この本では、地図の概念を応用して、あらゆる情報を図形にして、頭の中に情報の地図を作ることを地図思考と呼んでいる。著者は、東大卒、医師、アナウンサー、公設秘書などの経歴をもつが、地図思考をどのように活用してきたのか?解説している。エピソードの中には、文庫本サイズのポケット版の地図を片手に街角オリエンテーリングと称して街を散策する話など親しみを感じる話がある一方、人が話す会話までアタマの中で図形にしてしまう話など、とても真似できない話も出てくる。誇張ではなく、「図解の達人」と言った印象である。そして、以前紹介した「自分のアタマで考えよう」の著者ちきりんさんも同じような能力の持ち主なのだろうと推測するのである。

 今和泉隆行著 「地図感覚」から都市を読み解くー新しい地図の読み方を読む。

 この本では、「地図のグラフィカルな模様や情報に対する興味」と「人々が生きる現代社会の日常に対する興味」をうまく重ね合わせるという切り口で実際の地図の見方を指南している。地図には、目的地までの行き方が示されているだけでなく、私たちが見落としているそれ以外のたくさんの情報が盛り込まれている。地図から知見を得る能力を地図感覚と呼んでいる。地図感覚は、街角オリエンテーリングと同じように、地図と目に映る現実の風景を繰り返し比較することで養われる。

 地図から読み取れる情報とは以下のようなものだ。地図上の建物の大きさや目的地までの長さと実際の建物の大きさや歩いた感覚を比較する事で、他の建物の大きさや行ったことがない場所での距離を感覚的に知ることができる。地図上の道の太さや道の模様、新旧の道からも知見を得ることができる。都市地図からは、駅、交番、役所、郵便局などの公共施設だけでなく、スーパー、コンビニ、百貨店、ショッピングモールの存在も確認できる。この他、区画整理や耕地整理、駅の発展による影響など歴史的な都市の変遷も新旧の地図を比較する事で確認できる。そして人口や周囲の地形も都市の変遷に関係する。このような地図情報や関連情報自らの経験をもとに、都市の傾向や住人の日常を読み解くことを試みている。

 ここで、以下の内容が頭をよぎる。

わたしたちは、関心のあるものだけ、自分にとって必要なものだけを見るようにできているのです。カメラのようにすべて写すように見ているわけではないのです。

物事には奥行きがあって、深いところまで見れば見るほど、その先にまだ、見えてないことがたくさんあることが分かってくるのです。

            引用:小宮一慶著 ビジネスマンのための「発見力」養成講座

 だから、地図から都市の傾向や住人の日常を読み解く行為も地図の達人ではない普通の人にとっては著者が言うほど簡単なことではないと思う。当たりをつけることができても本当にそうなのか?確認する為には再度検証する必要がある。しかし、文章であれ地図であれ天気図であれ数式であれ図解であれフレームワークであれ、それがなければ仮説を立てることもできない。どうしても解決したいイシューであれば、仮説と検証を続けるしかない。

 社会人になると時間がなくて改めて勉強することは難しい。なぞる程度で終わってしまいなかなか身に付くところまでは行かない。しかし、勉強ができる人と勉強ができない人の違いというのもここで述べられている程度の差と考えることもできる。(仕事で必要であれば、どこかで身に付けて置きたいものだ。)「少しずつ楽しみながら」と「繰り返して身に付ける」そして「少年老い易く学成り難し」という当たり前のフレーズが頭に浮かぶ。