アナウンサーの久米宏さん著「シズルはいかが」という本を学生時代に読んで、「シズル」という言葉を覚えた。広告業界で使われる業界用語で、広告媒体の見た目や音が人の感覚を刺激するようなものになっていると「シズル感があっていい」などと言う使い方をする。現在では一般の人も料理の写真や映像を見(観)て、シズル感の良し悪しを語るようだ。
私は、映画の中に出て来る何気ない風景のカットが好きである。映画監督は、現実の世の中を舞台のように考えるのだと思う。そして、映画の中で、「日常の一瞬の風景」を切り取る事ができる。「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」で有名な山田洋次監督は、現代劇であれば役者の背後に映る風景をドキュメンタリーのようにリアルで臨場感があるものにしたり日常の美しい風景を切り取るように撮るのが得意だ。「万引き家族」や「ベービー・ブローカー」などで有名な是枝裕和監督は、社会問題をテーマにする事が多いが明るい日常と暗い現実をバランスよく映像にする事ができる。訴えかけるようなリアルで生々しい映像であっても、観る事が不快になる作品も多い。濱口竜介監督の作品「ドライブマイカー」の車中でのシーンも良かった。村上春樹さんの世界観、車中の空気感、車中のシズル感が感じられた。小説では、重松清さん著「流星ワゴン」の冒頭の部分、真冬の駅前ロータリーのバス乗り場のベンチに座っている投げやりな主人公の近くに、一台のワゴンの車が停まるシュチエーションも想像力を掻き立てられる。テレビ番組では、山田太一さん脚本の「ふぞろいの林檎たち」や倉本聰さん脚本の「北の国から」での風景のカットも印象的だった。
細田守監督や深海誠監督のアニメ映画を観ると、アニメにも「風景のシズル感」がある事がわかる。両監督のアニメ映画の中で描かれる街は、渋谷の街など現実の街並みを再現して描かれる場合もあるし作者の空想の場合もあるが、私達が思い浮かべる街並みの印象に限りなく近く親しみを感じる。新海誠監督の「君の名は。」では、モデルになった場所を「聖地巡礼」などと称して訪れる事が流行った。「天気の子」では、「雨が降っている街」や「雨が降ってる時の部屋」の「風景のシズル感」もリアルに感じられる。写真やドキュメンタリー映像と比べて、どちらが「風景のシズル感」を感じるか比較してみるのも面白いと思う。両監督のアニメ映画では、登場人物の背後にある風景がリアルだなと思わせる一方で、新海誠監督の「天気の子」では、地球上空の大気中で魚が泳いでいたり、細田守監督の「バケモノの子」では、渋谷の路地裏にバケモノの世界があったり、「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」では、作者の想像する「メタバース」があったりして、ストーリーの稚拙さが多少あるにしろアニメならではの虚実入り交じるクリエイティブな映像に舌を巻く。
過去の記憶は、周囲の風景の記憶と結び付いている。風景の記憶を想い出すと、その時の状況や感情の記憶も同時に想い出す事も多い。人それぞれに自らが歩んだ人生におけるドラマがありストーリーがある。しかし、時が経つにつれて多くの事を忘れてしまう。私が映画やテレビドラマの風景のカットを見て刺激を受けるのは、その風景から過去の記憶が蘇るからかもしれない。過去の記憶は、過去に観た映画かもしれないし過去に実際あった出来事かもしれない。また映画やテレビドラマを観なくとも、唐突に、過去に見たどこかの風景が頭に浮かぶ事はある。そのような事は誰にでもある取り留めのない事なのかもしれないが自分の人生を振り返る事ができると心が豊かになるような気がする。そして、風景を愛でる気持ちが自然と芽生える。普段から有意注意で風景を見るように心掛けたいと思う。